イケダハヤトさんに聞く! 「3Dプリンタから考える非貨幣経済論~もの作りで人はやさしくなれる」 【中編】

インタビュー 2012.11.16
 前編では、イケダさんがなぜ3Dプリンタに惹かれるのかお伺いした。3Dプリンタの将来の可能性に満ちた、とても魅力的なお話だった。
 しかし、イケダさんの説く、3Dプリンタが実現する反資本主義的な生活のあり方とは、どのようなものなのだろうか? 第2回である今回は、イケダさんが描くこれからの社会生活のビジョンに迫る!

イケダハヤト

1986年生まれ。ブロガー、ihayato.news編集長。「テントセン」co-founder。NPO支援、執筆活動などを行うかたわら、企業のソーシャルメディア運用のアドバイザリーも務める。著書に『フェイスブック 私たちの生き方とビジネスはこう変わる』(講談社)『ソーシャルコマース 業界キーマン12人が語る、ソーシャルメディア時代のショッピングと企業戦略』(共著、マイナビ)など。近著に『年収150万円で僕らは自由に生きていく』(星海社新書)がある。

イケダハヤト氏

 前編で仰られていた、3Dプリンタのもつ反資本主義性が、既存の経済システムにどのような影響力を与えると思いますか。
 この数年で、コップやiPhoneケースなどの身近なプラスチック製品は、僕らがすぐに印刷できるようになると思います。わざわざ買いに行くのが面倒くさいものや所有欲を満たすような製品は進んでいくのではないでしょうか。

 商品をわざわざ、お店に買いに行かなくても良いといことは大きな変化です。もしかしたら、プロダクトはお店で買うものだ、というこれまでの消費に対する先入観は、今後替わってくるかもしれません。欲しいときに、ぱっとすぐ欲しいものが手に入るようになるわけですから。

 漠然としたビジョンなのですが、人々がお金を使わなくなる生活というのが、僕にとっては、とても魅力的に写ります。

 僕の使っているiPhoneカバーって、1個3,000円もするんですよ。イギリスの会社から購入したのですが、実際は香港で制作し、香港から日本に輸送されて来るというとても複雑なプロセスを経ています。グローバル社会の凄い進化だなと思う一方で、このiPhoneカバーを自分で作るとしたら、300円くらいで作れるはずなのに、と思ってしまいます。つまり、ミクロな単位ですけれども、物流や製造機械への投資にかかる、余分なコストが随分上乗せされているはずなんです。
 わざわざ別の場所でプロダクトを製造する必要って、ないじゃないですか。仮に自宅や3Dプリンタの置いてあるコミュニティで印刷できるとしたら、僕らが普段使っているお金って浪費以外の何ものでもありません。僕なんて盲目的にiPhoneケースに3,000円も支払ってしまっていましたが、仮に10年後、3Dプリンタの開発が進めば、そんなことはありえないでしょう。

 物流や材料費のコストが下がっていくことで、僕らはさらに低コストの暮らしができるようになります。必然的に既存の経済システムや社会体制は変貌を余儀なくされますが、そこに個人的には未来があると思いますね。お金を使うのって嫌じゃないですか(笑)。
 『MAKERS』も基本的には、みんなでアイデアを出し合い、コミュニティでそれを共有することで、より豊かな社会が生まれるという話の流れではありますよね。イケダさんにはそういった文脈を読み解いていただいたということかもしれませんね。
 まさに、その通りです。評価経済という言葉もありますが、非貨幣経済の文脈に『MAKERS』の議論は近しいものを感じています。

 ただ、僕が普段、非貨幣経済についての話をすると質問を受けるんです。「では、みんなが税金を払わなくなったらどうするのか?」と。
 税金は間接的なやり方で、世の中をどうにかしようという方法であって、やはりこれは非効率な問題解決のための手段だと答えています。地域のコミュニティやオンライン上のコミュニティの力を利用して、もっと直接的かつ効率的に解答を示すということが出来るはずです。以前は作りすぎたご飯を隣の人におすそわけをしたりして、コミュニティが支え合いをたくさんしてたじゃないですか。

 そういう意味では『MAKERS』の議論ってコミュニティの人々で支えあうということとも文脈が近しいと思うんですよね。お金をもらうために何かを作るというよりも、誰かのために何かを作ることが、結局は自分のためにもなる。そういった、利他的なものと利己的なものが高次のレベルで合致して、お金を使わなくても経済が回っていくようなビジョンが読み取れます。本書でも1章が割かれている、オープンソースについての議論は、みんながものを作るデータソースをお互いに共有して、社会をより良くしていくということですからね。まさに利己と利他の合致です。ここでも、個人個人が誰かのために何かをしているけど、結局は自分のためにやっているという思想が深く根付いています。
 イケダさん自身がそういった非貨幣経済社会というビジョンに至った背景はどこにあるのでしょうか。
 少し等身大の話になってしまうのですが、僕の世代だとまわりに仕事で体調崩す人が多いんです。僕の友人でも鬱病で倒れた人が片手じゃ数えられないくらいいます。友人の友人くらいになると、自殺してしまった人もいます。
 彼らの中には、がんばってお金を稼いで税金を納めているのに、結局、体を壊してしまって、生活保護を受給する。そして、結局は税金が必要になってしまうという人もいました。これって、とても悪循環じゃないですか。
 しかも、これから日本の人口は減少していくし、以前のように経済成長していく姿は想像できない。だから、僕ら若い世代は、今後ますます社会保障の負担が大きくなっていきます。僕らは、それを持ち上げるために頑張って働いている。でも、体を壊してしまう。これでは何のために経済成長しているのか分からなくなってきてしまいます。

 本来、経済成長の意義は、きちんとした生活インフラを作ることにあるはずです。僕はいまフリーランスで活動をしていますが、経済状況が悪いときに、体を壊してしまえば、生活保護を受けられなくなる可能性があります。経済状況が良ければそうはならないはずです。最低限のセーフティネットを国なり政府なりが作っていくところに、経済成長の意義があるはずなのに、そこを全く果たせていないと肌で感じています。このような社会の構造は、やはりおかしいです。

 僕自身もベンチャー企業にいて、非常に辛かった時期があるんです。「俺、一生懸命働いて税金を納めてるけど、何なんだ、これは」と。自分自身、幸せじゃないし、誰かのためになっている感じもしない。
 経済成長はこれから厳しくなっていくので、ますます僕らは何のために働いて、お金を稼いでいるのか、わからなくなってきます。だから、別の回路を模索しなければならないと思いました。

 税金システムのような間接的な分配に頼らない支えあい方を、僕らは出来るはずです。自分の持っているスキルや労働力を使って、コミュニティを支え合うという昔ながらのやり方が良いと思うんですよ。それに加えて、いまはテクノロジーの力もありますので、直接的かつ効率的に世の中を支えることが出来るようになっています。
直接的かつ効率的な支え合いというのは、具体的にはどのようなものでしょうか。
 ルームドナーというサイトが以前、ありました。いまはリンクが切れてしまっていますが、象徴的な事例です。
 これは、東日本大震災で被災してしまった家庭の方々に、自分の家を提供して被災者を受け入れるプラットフォームです。たとえば、首都圏に住む人の家にあまり普段は活用していない部屋があるとします。その情報を部屋の提供者がネット上にアップし、その中から被災地の方が場所と期間を選ぶ。希望された被災地の方を一定期間、提供者が泊める。このような方法で、部屋の提供者と被災地の方を引き合わせるサービスでした。最終的に、82家庭、230名の方を引き合わせるほどの成果を出しました。1年くらいで被災地の方からのニーズが少なくなりましたので、既にサイトは閉じられています。
 この事例で凄いところは、20歳の学生が4日でサービスを作ったということです。まさにテクノロジーがあるからこそなしえた仕組みです。この仕組みがなければ、コーディネータ一が、どんなに一生懸命働いても1人当たり、せいぜい10家庭くらいしか引き合わせることができなかったと思います。そう考えると、20歳の大学生がパッと作って200人を引き合わせさせたことって、凄いパフォーマンスですよね。

 僕に限らず非貨幣経済の論者って、江戸時代などの昔のコミュニティ社会への回帰を訴える場合が多いです。ただ、テクノロジーの力をうまく利用していくことによって、もっと旧来的なコミュニティでの人々の支えあいは効率的になるでしょう。“江戸時代2.0”みたいな感じにできれば、最高ですよね(笑)。
 そういった社会を構築できたら、政府はコミュニティで解決できない部分にもっとコミットしていくべきです。社会保障のアプローチを変えていって、もっと日の目を見ない、政府しか出来ないような社会問題に注力していく。そうすれば、経済成長が難しくなっても、なんとかコミュニティやパブリックなものによって、人々の生活は維持されていくのではないか、と思い描いています。

※次回記事は11月21日(水)更新予定です。

TEXT BY KEI AMANO

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